非常食,防災グッズ,サバイバルフーズ,消臭除菌・抗菌スプレー

2010年10月22日 (金)

第三節:コンプライアンス体制を要求する6つの潮流<2>

1  流動化する人材市場

1980年代後半までは、中小企業は別として、基本的に人は転職しないことになっていました。所属集団から離れることが社会的に見て負け犬として見られること、転職をすると会社の格や待遇が低下したこと、また真面目に勤務していれば終身雇用と年功序列システムのもとで雇用も確保され、それなりに出世もし待遇も上がること。これら外的、内的の要因から、最初の会社に長期間勤務し続けることが前提となっており、また長期的に勤務し続けることをもって、所属集団に対して損害を与えるような行為をしないという抑止力が働いていたのです。

商業組合のクローズドな会員間で、ダイヤモンドの取引を行うベルギーの商人たちをテレビで見たことがありますが、彼らの取引は値段について口頭で合意すれば、契約書など作ることもなく、そこで握手して終わりです。もし合意を破るようなことがあれば、信用を失い、組合から追放されてダイヤモンドを扱うことができなくなるからです。

これと同じで、過去の日本企業では、自分の会社や固定的な取引先との間の顔が見える世界に生きており、ここで信用を破るようなことを行うと、逃げどころもなく、仕事ができなくなってしまうことが問題行為の抑止力であったわけです。

ところが、現在はまったく違った環境になっています。

転職は当たり前になっていますし、転職して収入が上がることも普通です。また、仕事の能力があれば、よそ者でも採用する時代になりました。どこかの地方でヘマをしても、東京などの大都会に出てしまえば、過去はそこまで追いかけてきません。自分で起業するという選択肢もあります。

このような状況にあっては、ずっと同じ会社に勤めるがゆえに会社に損をさせないといった抑止力はなくなります。したがって、過去と同じように、何もしなくても何も起こらないという考え方は変えていかなくてはなりません。抑止力はすでに失われているのです。

転職をする際には、これまで身につけた職務遂行能力が売りになるはずです。しかし、採用する側は、そこに競合企業のノウハウがくっついていればさらに喜ばしいでしょうし、お客様まで一緒に連れてきてくれればもっとありがたいのです。これら移転するものの一部は転職者のものではなく、会社のものであることも多いわけですから、会社は守るべきものはしっかりと守る仕組みを作っておかなければなりません。

また、これまでは業務が属人的になり、その人がいなくなると業務が回らないといった状況も許容してきました。しかし、その人は明日も社員でいるとは限りません。そして、彼や彼女がいなくなると業務が混乱し、顧客からのクレームにつながることもあります。こういったリスクは極力低減しておかなければなりません。

狭義のコンプライアンス問題ではありませんが、短期的に見て利益が上がるが、長期的に見ると会社の競争力をそぐような意思決定をする可能性もあります。人気のブランド商品を大衆向けに提供すれば、長期的にはブランドを棄損しますが、短期的には利益が生まれます。

皆が長期にわたって会社にいることが前提であれば、こうした決定は行われませんが、短期で、しかもストックオプションの行使などがからんでくると、株価を短期的に高めるために、それらは実行される可能性があります。

人材の流動化は、組織運営の在り方に大きな影響を与えているのです。

10月 22, 2010 at 04:29 午後 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年10月23日 (土)

第三節:コンプライアンス体制を要求する6つの潮流<3>

2  同質化行動から差別化行動へ

高速道路が混んで渋滞していると、路側帯を走るクルマを見ることがあります。ほぼ一車線が使われずに空いているわけですから、なぜ走ってはいけないかをしっかり学んでいなければ、そこを走りたいと思うクルマがいても不思議ではありません。

今日の日本企業は、競合と同じことをしていただけでは生き残れなくなっています。企業として差別化された行動をすることはもちろん、個人レベルでも創意工夫が求められています。その際、ビジネスを推進していく上で抵触する可能性のある法令について、十分な知識がないままに行動をすると、気がつくと路側帯を走っていることになったりします。

 コンプライアンスに関連するところで、いろいろな企業の話を聞くたびに、危なっかしいと気をもむことがありますが、なかでも他企業への投資に関する意思決定は大変気になります。

同業他社と差別化するために、よく知らない業界の会社を買収したり、出資をしたりするのですが、その意思決定が必要な手続きを踏んでいるのかどうか。十分にデューデリジェンスを実施したか、価格決定に合理性はあるか、うかつに重要情報を外部に漏らしていないか。慣れてくればこういった問題を起こすことはないのでしょうが、はじめのうちは大変心配です。合理性がなければ、取締役は株主代表訴訟をつきつけられるかもしれません。

 個人的にも、新しい取り組みが法令に抵触しないかどうかで気をもんだことがあります。1990年代の半ばに電話のプッシュフォンを利用して、簡単に入社案内パンフレットを請求できるシステムを開発した際のことです。学生が企業に対して行う資料請求の情報を、人材紹介業の免許をもたない会社(リクルート)が知ってしまうことが違法行為にあたる可能性がある、ということで法務セクションや弁護士と何度もやり取りをしました。

現在は、人材紹介業の免許を取得することも維持することも、かなり楽になりましたが、その当時は大変難しいことでしたので、もし違法となれば新しいサービスを断念しなければなりません。幸い、法務部や弁護士の手厚いサポートのもと、もともと会社にあった個人情報に関する取り扱い規約を堅持するようにし、さらに違法性を指摘された場合の対処法まで考えた上でサービスをスタートしました。

この決断により、いろいろな可能性が開け、たくさんの実験をすることができました。おかげでインターネットの時代に入った際にも、競合他社と比べて大きなアドバンテッジをもつことができたのです。新しいことをやるには、慎重かつ大胆に進めなければなりません。

また、当たり前と思える世界においてもビジネスのルールが、どんどん変わっていくことにも気をつけなくてはなりません。

最近、タクシーに乗り込むときの順位と席順の関係が変わっていることに気づきました。四人がタクシーに乗る際には、最上位者が運転手のうしろ、次が後部座席の反対側、三番目が助手席、最下位者が後部座席の真ん中という風に私たちは習ったものです。しかし、最近のマナーブックでは、三番目が後部座席の真ん中で、最下位者が助手席になっています。本によると、助手席は運転手に指示をし、料金を払うのに都合がいいからということです。

昔、マナーを習ったときは、後部座席の真ん中は、安全性の観点からも乗り心地の観点(昔の車は中心の出っ張りが大きかった)からも最下位です、と習ったのですが、どこかで判断基軸が変わったようなのです。

あくまで推測ですが、昨今の人権的発想から考えると、会社において上位か下位かということと安全性の優劣を関連づけるのはふさわしくないだろうというのが一点。一方、仕事の分担という観点では、下位者が運転手とやり取りをしやすい位置にいることは納得性が高いというのが一点。そんな理由から判断基軸が変ったのではないかと想像できるわけです。クルマ自体の性能や形状も変わり、後部座席の真ん中がそれほど乗り心地の点で悪くなくなったことも関係しているかもしれません。

このように、技術発展や世の中の認識が変わったことによって、それとともにビジネスを取り巻く法令が変わっていることは少なくありません。ベテランであっても、自分のやっていることが適法なのかを知っておかなければならないのです。

新しい取り組みが法令に抵触していないかどうか、通常行っているビジネス行為が最新の法令に照らして枠の中に納まっているかどうか、これらをしっかりとチェックできる体制を築いておかなければ、恐ろしくて企業経営などできたものではない時代なのです。

10月 23, 2010 at 08:15 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

第三節:コンプライアンス体制を要求する6つの潮流<4>

3 コミュニケーション絶対量の減少

これまでの日本企業では、英雄的な行為、価値基軸を決めた意思決定、やってはいけないこととその理由などの価値的な事項は、管理職による口伝えによって行われてきました。その証拠に、ほとんどの大企業は、社内広報にあまり力を入れていません。月に一度程度、大本営発表といった感じの社内報が配られますが、ありきたりで内容にも工夫がありません。

その代わりに、中間管理職が企業トップの方向性をメンバーに伝え、メンバーからの声を上に伝える「情報の結節点」の役割を果たしてきたわけです。

しかし、よく言われることですが、上司と部下、同僚が一緒に過ごす時間の絶対量が大幅に減少してきています。まず一緒に飲みに行くことが少なくなりました。業務においてもパソコンを前にして一人で仕事をすることが多くなりました。管理職になってもプレイングマネジャーとなり、自分の仕事をこなすだけでも精一杯で、なかなか部下の面倒をみる時間もなくなりました。

このような中で、これまでは特別に意識せずとも伝わってきた会社の理念や大事な価値判断基準などが、まったく伝わらないということが起こっています。飲みニケーションの強制がパワーハラスメントの文脈で語られるようになり、無駄な残業をなくす方向に会社は舵を切っています。しっかりした価値基軸を共有するためには、管理職を使って自然に浸透する方法だけではなく、これまでにはなかった別の手段が求められているのです。

10月 23, 2010 at 09:52 午後 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年10月24日 (日)

第三節:コンプライアンス体制を要求する6つの潮流<5>

4 マリーシア文化の広がり

Jリーグがスタートして2008年で15年になります。それまで日本では野球こそがスポーツの王様でした。この野球、黒い霧八百長問題(69年)、江川事件(78年)などがあったものの、基本的には身体接触が少なく、プレー後の1つひとつに審判のジャッジが入るという特殊性があるために、反則行為が話題になることは少ないスポーツでした。

一方、サッカーというスポーツは、かなりきわどいところがあります。たとえば“プロフェッショナル・ファール”という言葉があります。相手が攻撃に転じた際に、防御する自チームの選手の数が足りていないとき、あえて相手の体に接触して反則を犯します。これによっていったんゲームを止め、その間に選手が防御体制に入ることができれば、その反則は大きな成果を上げることになります。これをもって解説者は「こういうプレーこそ、プロフェッショナル・ファールです」と反則行為を褒めるのです。

また、ワールドカップなどで、世界の強豪と戦う機会が増えるにつれ、日本チームはマリーシア(ずる賢さ)が足りないということが盛んに喧伝されました。特に南米のチームの試合を見ていると驚きますが、反則を犯した地点からのフリーキックでも、キッカーは自分の有利なところに場所を巧妙に移動させて蹴ります。審判の見えないところではユニホームをつかみ、スローインを投げ入れる場所は本来のあるべき場所とまるで違います。要するに、審判の目を巧妙に欺くこともまた、サッカーにおいては勝敗を決する重要な技術という認識がされているわけです。

これがサッカーの中で閉じていればよいのですが、どうもそうではなくなってきているように思います。

学生が最初にビジネス世界に触れる就職活動が、このマリーシアに満ちています。会社は就職協定(現在は経団連企業による自主協定)で決められた日付よりも前に学生に接触を図ります。ただ、あくまでゼミやサークルにOBが遊びに来るという名目で。企業としては、あくまで社員が自発的に自分の出身校に遊びに行くだけの行為だということになるわけです。

学生側もしたたかなもので、「御社が第一希望です」とあちらこちらで言うことを学びます。学生にとってビジネスとの最初の出合いが、こういう相互にマリーシアに満ちた世界にもかかわらず、入社式の際に社長から「当社はコンプライアンスを第一に考えています」と聞かされても、どのくらい真剣に感じることができるのでしょうか。

ばれる、ばれないではなく、たとえ誰も監視していなくても、正しいことをやるという気概をもちたいものです。いずれにせよ、外部にばれないようにうまくやるというマリーシア的発想が社会を覆ってきていることについては、注意をしておかなければなりません。

10月 24, 2010 at 11:35 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年10月25日 (月)

第三節:コンプライアンス体制を要求する6つの潮流<6>

5 利益プレッシャーの高まりとM&A

2004年に突如発生したライブドア対フジテレビの争い。その際に盛り上がった「企業は誰のものか」論争は、一時期、百家争鳴の様相を呈しましたが、論争そのものにはきちんとした解答が出されないまま、ホリエモンや村上世彰氏が逮捕され、またスティールパートナーズが敵対的買収者の烙印を押される中で、株主主権論はフェードアウトしてしまった感があります。しかしながら、誰が主権者であろうと株主へのリターンについての圧力が緩むことはないことを認識しておかなくてはなりません。

いろいろな会社に行って強く感じることの1つに、日本企業においてはまだ資本コストという概念が浸透していないことがあります。どうもこの考え方は、経営企画や財務畑の人たちに留まっているようなのです。たとえば、こんな議論が現場では交わされます。

「わが社は、売上○○億円で、利益だってわずかではあっても出している。それなのにトップはあくなきコスト削減を要求する。赤字だったらともかく、こんな無理を要求されたら現場だって問題を起こしますよ」

現場の多くは、このような発言を正しいものとして受け止めるのです。利益を出しているということをもって及第であるという認識が大勢なので、そこには株主からの正当な権利の主張に対する配慮がありません。潰れてしまったら、何も返ってこない(可能性が高い)リスクマネーの出し手に対する意識が、現場にはひとかけらも存在しないのです。これではバランスを欠いていると言わざるを得ません。

株主に対して正当なリターンを返すためには、さらなる収益性の向上が必要です。しかし景気循環による上り下りとは別に、日本で稼いでいくことに対しては、厳しい状況が待ち構えています。

まず何といっても、人口が減っていることが大きな問題です。資本主義的な視点で眺めたときに、人口の減る日本で、人口が多かった時代のニーズを満たす供給量のある市場はどうなるか? 技術革新等で新しい関連市場が生み出されない限り、供給量の調整が行われるはずなのです。それはすなわち生産側の縮小を意味するわけで、今後は、ありとあらゆる領域で同業者同士のM&Aによる調整、廃業が行われることでしょう。

かつて、構造不況に陥った企業は、不況カルテルや同業者の合併などで、このような危機を乗り切ってきたのですが、これが巨大なレベルで起こるのです。ところが、このM&Aほど組織的に難しい問題を発生させるイベントはなかなかありません。

合併の記者会見などでは、技術に強いA社と販売に強いB社が合併する理想的な結婚です、といったことが述べられます。一見したところ理想的なその結婚は、いざ一緒になってみると多くの困難に遭遇します。

技術主体で成功してきた会社は、売上向上を先進的な技術開発で成し遂げようとします。一方、販売主体で成功してきた会社では、広告宣伝とセールスパーソンの投入で成し遂げようとします。互いの意思決定の優先順位がまるで違い、また、どちらが正しいか誰にもわからない神学論争的な問題ですから、永遠に折り合わないこともあります。中途半端に妥協し、技術への投資も中途半端、広告宣伝やセールスの投入も中途半端では、成果を出すための最低限の資本投下に達しないために共倒れになってしまう可能性も高いのです。

また、収益力の弱ってきた大手企業が、ベンチャー企業を買収することも多くなるでしょう。これまた、記者会見のひな壇では、大手企業の資本力や営業網を利用することでベンチャービジネスは大きく発展し、一方、大手企業はベンチャー企業の勢いを組織の中に取り込めるという美辞麗句が並びます。しかし、多くの場合、大手企業が要求する意思決定までの「きちんとした正しいプロセス」と「さまざまな報告義務」などに嫌気がさして、しばらくすると多くのベンチャー幹部がいなくなるのです。

価値基軸の違いは、狭い意味ではコンプライアンス問題とはされません。しかし、経営上たいへん大きな問題で、価値基軸の違いを乗り越える問題解決の技術がないままにM&Aに乗り出しても期待された成果をあげることはできないのです。

10月 25, 2010 at 09:29 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

第三節:コンプライアンス体制を要求する6つの潮流<7>

6 グローバリゼーションへの巻き込まれ

さて、前項の「利益プレッシャー」とも関係するのですが、日本国内での利潤追求が難しくなりコスト競争も激しくなると、海外でのビジネスを成功させることがどうしても必要になってきます。競争力のある商品であれば海外で販売することを志向しますし、その販売先も欧米だけでなくアジアも対象になっています。

生産拠点に関しても、人件費の高騰やカントリーリスクの観点から、常に移動していくことを考えておかなくてはなりません。過去、エレクトロニクスや自動車が行ってきたことを、ほかの製造業やサービス業でも行わなくてはならない時代になっているのです。

このような時代になると、世界中で、どのような価値観・ルールでビジネスを行っていくかがたいへん大事になります。まず、グローバルなオペレーションを行うと、その国独自の法や規制、慣習があり、それらへの対応を迫られます。

その際に、できるだけ規制の緩い国を選んで、その基準に合わせて利益を獲得する考え方(マルチスタンダード)で仕事を進めるか、会社の決めたグローバルな基準――いきおい最も厳しいところに合わせざるを得ません――で仕事を進めるか(シングルスタンダード)のいずれを取るかの選択に迫られます。

ある会社では、かつて海外で生産していた際に、稀少な原材料を持ち出されないように、日本でやっていたのと同じように、身体検査やITでの制御技術を駆使した制御を行っていたのですが、なかなか事故の発生を防げませんでした。

そこで日本式のやり方を捨て、現地式に変えました。現地式とは、筋骨隆々の大男に仕事の現場を監視させるという原始的な方法です。すると一気に問題が解決したそうです。監視を強化されることで従業員のモチベーションが下がったかというと、そうでもなく、メンタリティの違いがあることが明確になりました。

とはいえ、性悪説に基づく恐怖感が有効に機能することがわかったのはよいのですが、国ごとに従業員と会社との関係を変えるほうがよいのか、全世界的に同じ性悪説でいくほうがいいのか、その企業は今もなお悩みの中にあります。

地域の権力者などとの付き合いの仕方も悩みの種です。それなりの贈答が必要な地域もありますが、日本では禁止しておきながら、外国においてはそれを許すのかどうか。日本と同じ基準でやれというのは簡単ですが、それでは仕事が取れなくなってしまいます。

また、一般に現地法人では、日本から着た偉い人が日本人だけを連れ出して食事に行くことがあります。昼間、慣れない外国語を使って仕事をするわけですから、夕食くらい日本語でリラックスしたいという気持ちも十分過ぎるほどわかります。しかし、こういったちょっとしたことが、日本人だけは別という意識を現地の従業員に植え付けてしまいます。そうすると、企業の行動指針にある「国籍によって差別しない」が嘘だと思われてしまうのです。

グローバルな企業運営を行う上で、会社としての価値基準や行動基準を、それぞれの国や地域固有の文化や風土の中でどれだけ統一化し、どれだけ独自化させるのか、これはたいへんな難問です。

10月 25, 2010 at 09:13 午後 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年10月26日 (火)

第四節:「管理部長のコンプライアンス」と「CEOのコンプライアンス」<1>

第四節 「管理部長のコンプライアンス」と「CEOのコンプライアンス」

ハード志向な「管理部長のコンプライアンス」

これまで見てきたように、日本企業はこれまでにない新しい環境の中、コンプライアンスや内部統制の体制をきちんと構築し、浸透させていかなくてはなりません。そこには、大きく分けて2つのアプローチがあります。

その1つは、巷間いわれるコンプライアンス体制で、業務に関わるルールを明確にし、そのルールを守ることができるようなプロセスを埋め込んでいくことです。このハード志向な方法を「管理部長のコンプライアンス」と呼んでいます。

一方、組織そのものの存在意義や価値判断基軸を明確にし、従業員全員で共有していくソフトな分野のコンプライアンスがあります。私は、先ほどの管理部長のコンプライアンスの重要性を強く認識した上で、それよりも基本的なものと位置づけ、こちらを「CEOのコンプライアンス」と呼んでいます。



法令に基づいた社内ルールを作成するとともに、プレッシャーが少々強くなっても安易に問題行動をさせないようなプロセスやチェックの仕組みを作ること。これらは、不祥事を起こさせないためにも、組織を円滑に運営させていく上でもたいへん役に立つものです。

昨今のJ-SOX対応もまた、このコンプライアンス・プログラムです。会計に関係する企業のフローを明確にし、そこに潜むリスクを明らかにした上で、1つひとつの統制を確認するという行為を行うことで、多くの問題点を発見することが可能になったわけです。

これによって決算の数字が確かなものになり、事故やミスが大幅に少なくなることが期待されています。特に最近上場したばかりの企業にとっては、たいへんよい棚卸作業になったことでしょう。きちんとやっておけば、使い込みの類やオペレーションのミスからお客様の不満を増幅させた事故などを押さえこむことができます。

管理部長のコンプライアンスは、特に定型的、安定的な業務にはフィットします。プロセスのどこに問題を発生させる余地があるかを事前に知っておければ、対策も立てやすいわけです。

10月 26, 2010 at 09:18 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年10月27日 (水)

第四節:「管理部長のコンプライアンス」と「CEOのコンプライアンス」<2>

創造を阻害する危険性に注意

しかし、このアプローチには不得意な領域もあります。

過去問題を起こしたある放送局が、番組に関する発注の適正化のためにルールを明確にした入札制度を導入するようです。これは、内部統制でいうところの「正しいルールとプロセス」の導入です。

ただ、この新制度はいったん発注価格が下がったという評価を受けた後、最終的には、制作現場の質の低下を招き、残念な結果を生むことになるでしょう。番組制作は、建築物のように仕様が明確になり、その仕様を満たすものを安く作るという話ではありません。お互いに企画案を出し、現場でもキャッチボールをしながら、よりよいものを創り出す協働のプロセスです。

知恵の出る人は出るし、出ない人は出ないわけで、それを公共工事や建設業のごときプロセスを入れてコントロールしようというのは、ソフト制作にはなじまないやり方です。やがて修正が加えられることになるでしょう。

第二章でもふれますが、新規事業を起こすという業務と、管理部長のコンプライアンスの相性もたいへん悪いものです。新しいものへのチャレンジとは往々にして、これまでの常識を疑うことから、新しい価値の創造を行うものです。日々試行錯誤をし、失敗が連続するのが新規事業の開発プロセスです。これをミスがないことを前提にするできあがった既存事業のオペレーションと同じ方法で管理すれば、不要な報告などの面倒くさい業務が増えるだけになって、現場のモチベーションを大きく下げます。

とはいえ、企業の中で定常業務の割合はかなり高いものですから、管理部長のコンプライアンスは、事故を防ぎミスを減らします。きちんと運営すれば標準化により収益性もアップさせることができるたいへん有効なものです。

10月 27, 2010 at 08:16 午後 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年10月28日 (木)

第四節:「管理部長のコンプライアンス」と「CEOのコンプライアンス」<3>

ぶれない価値基準こそ「CEOのコンプライアンス」

皆さんの会社では、会社の経営理念と毎日の仕事はリンクしているでしょうか? 皆さんはなぜ他の会社ではなく今の会社で働いているのでしょうか? 経営理念にある「お客様第一主義」というのは具体的にはどのようなことで、それが実際に発揮された例にはどのようなものがあるでしょうか?

第三章に、会社の価値基準を問うための問題がいくつかあるのですが、会社の価値基軸を安定させ、大事なことについては従業員全員がほぼ同じ解釈をし、その具体例をしっかりと共有しておくことはとても大切なことなのです。

この組織においてやってはいけないことは何なのか? たとえ法に触れなくてもこの会社ではやらないというものは何なのか? 会社にとって褒められるべき行為と非難されるべき行為を明らかにし、その理由を示し、物語にして社内に浸透させ、そして状況に応じて変更する。これはまさにトップマネジメントの仕事です。

善悪の基準が明確で、かなり広い範囲まで自分たちの裁量で決めて進めることのできる会社では、間違いなく会社の事業が進みますし、判断についての成功と失敗の体験を積むことができます。そのことで社員も成長するのです。

これらの価値基準と同様に重要なことは、矜持をもつことです。自分たち自身に対するプライドと言い換えるのがよいでしょうか。企業経営はいつもいいときばかりではありません。ヒット商品が出ないときもあるでしょうし、失敗をして窮地に陥るかもしれません。そうしたときに、過去の信用を利用して安易な道を選べば、関係者の失望と引き換えに、短期的な回復をねつ造することはできます。しかし、それでは会社は窮地に陥ってしまいます。

悪いときにも価値基準を揺るがさず、信用を守ることができるかどうかは、自分たちに対する矜持にかかっています。社員の一人ひとりが「われわれは、浮利を追うようなことはしないのです」と心からサラリと言える会社になれば、「CEOのコンプライアンス」が成功しているといえるでしょう。

10月 28, 2010 at 09:29 午後 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年10月29日 (金)

第四節:「管理部長のコンプライアンス」と「CEOのコンプライアンス」<4>

「CEOのコンプライアンス」を重視する理由

管理部長のコンプライアンスとCEOのコンプライアンスは、両方とも大事で、これらは相互補完関係にあります。私がこの本を書こうと思ったのは、本来、補完関係になければならない両者がいつまでもつながっていかないことに対する焦燥感からでした。

特に昨今は、法的対応、監査的対応といったどちらかというと外的要因から企業がやむなく対応せざるを得ないことが多くなり、その結果として、管理部長のコンプライアンス一色になっています。

ルールとプロセスが明確になれば、そこに集団的な行為は成立しますが、価値と矜持がない集団は機械と同じです。コンプライアンス問題を考えても、いたずらに規則とチェックのプロセスを増やすよりも、価値基軸を安定的に揺るがさないことやペナルティの有効利用で、不正やミスといったものを組織から自然と排出してしまうことができると確信しています。

また、管理部長のコンプライアンスは、よい解説本もたくさん世の中にあります。このようなことから、この本では、おもにCEOのコンプライアンスについて述べていきたいと考えています。

10月 29, 2010 at 03:30 午後 | | コメント (0) | トラックバック (0)